宿曜開運クッキング開設のきっかけ




宿曜占星術との出会い

私は京都生まれで、幼いころから伝統や昔ながらの風習に親しんできました。
方角や吉日を大切にする母の影響もあり、日々の運勢や運気を見ることは、ごく自然な習慣として身についていました。

結婚し、子どもが生まれてからは、特に子どもの体調や病気のときに「今、この子の運気はどう流れているのだろう」と気にかけ、いろいろな占いを見比べるようになりました。

そんなある日、職場で大好きな先輩に声をかけられました。
「最近元気がないわね。悩みでもあるの?占いをしているから、見てあげる。」
そう言ってその場で鑑定してくれたのが、宿曜占星術との出会いでした。

まさに運命の出会い

示された結果は、その時の私の環境や心の状態をまるで見透かされたように的確で、驚くほど腑に落ちました。
良いことも悪いことも、 自分の本命宿を知り、その流れに沿って行動すれば、運は自然と開いていく。
そう気づけたことで、人生は「自分の気持ちと選択で変えていける」ものだと実感するようになりました。

この体験が、私が宿曜占星術を学び、
そして「宿曜開運クッキング」を始める大きな原動力となっています。

私の本命宿

私の本命宿は「壁宿」です。

壁宿は水のエレメントを持ち、海王星4足・魚宮4足に守護された、
“目に見えない世界を深く信じるスピリチュアルな宿”といわれています。

夢見るような感性を持ち、興味の対象が広く、
心がインスピレーションで動くと、ふわりと世界が広がり、
イメージの中で豊かな物語を紡いでいく――

そんな性質は、昔からの私そのものです。

過去・現在、そして未来へ

また「壁」という字は“壁を作る”という意味ではなく、
“壁を取り除く”という意味があります。

まさに壁宿は、誰とでも分け隔てなく接することができる宿。

その一方で境界線が曖昧になり、
水が形を失うように、物事に依存しやすい面もあります。
この特性も、私の気質ときれいに重なります。

さらに、過去世を表す「鬼宿」は、家族・仲間・団欒・先祖を大切にする宿。
幼いころからお墓参りや仏壇に手を合わせることが自然にできたのは、
この影響なのだと、後になって腑に落ちました。

そして未来世の「房宿」はホスピタリティの象徴。
料理、薬膳、アロマ、代替医療など、人を癒す学びへ導く星です。
“執着を手放すこと”で未来が大きく開けるという教えも、
今の私に深く響くメッセージです。

壁宿の特質と、鬼宿のルーツ、房宿の未来。
そのすべてがつながって、まるで物語のように私自身を映し出しています。
だからこそ、私は「壁宿はまさしく私そのもの」だと感じています。

竹本光晴先生との出会い

職場で宿曜占星術を教えてくださった先輩との出会いは、今振り返っても“運命”としか言いようのないものでした。
その先輩は、私の未来世を表す「房宿」の方。

宿曜占星術では、

  • 現世=命(本質)
  • 過去世=業(ルーツ)
  • 未来世=胎(未来への魂の方向性)

この三つを三角形にして「ソウルメイト」と呼びます。

私から見て先輩は“胎”。
未来でも出会い、宿命的なご縁や志を引き継ぎ合う関係です。
そして、先輩から見た私は“業”にあたる存在。
「昔の私を見ているみたい。あなたは私がやり残した宿題を続けてくれているようだわ」
そう言ってくださった言葉は、今でも心に深く残っています。

この結びつきはとても強く、だからこそ先輩のアドバイスはどれも不思議なほど心に響き、
どんな言葉もすっと胸に溶け込んでいきました。

宿曜占星術講座 受講開始!

やがて先輩のお誘いで、カルチャーセンターの宿曜占星術講座に参加することになり、
そこで本格的な学びが始まりました。
講師の先生は、先輩が宿曜占星術を学ばれていた方で、
とても親しみやすく、講座は毎回楽しく、どんどん世界に引き込まれていきました。

さらにご縁は続き、講師の先生のご自宅サロンに招かれ、
宿曜占星術最高師範である竹本光晴先生による特別勉強会に参加する機会をいただきました。
竹本先生には個人的な鑑定までしていただき、
その中で「私の本質」「今まで抱えていた悩み」「これからの課題」すべてが、
宿曜占星術を深く学ぶことで必ず見えてくると確信できたのです。

この出会いと学びが、私を“宿曜の道”へと導き、
今の活動の源になっています。
竹本光晴先生のインスタグラムはこちら @kosei_takemoto

長女に送った手作りのレシピノート

私には三人の子どもがいます。(長女28歳・長男24歳・次女20歳)
一人っ子として育った私は、昔から大家族に憧れていて、
子どもたちが幼いころは旅行やキャンプ、スキー、家でのBBQなど、
賑やかに過ごす毎日がとても幸せでした。

しかし、長男が小学1年生から始めた野球をきっかけに、
家族の生活は大きく変わっていきます。
週末の早朝送迎、お当番、遠征の車出し、応援……
目まぐるしく過ぎていく毎日でしたが、それでもとても充実していました。

息子の野球生活は高校卒業までの12年間続き、
保護者としての活動はさらに大変になりましたが、
高校最後の夏には神奈川県ベスト16という輝かしい成績で引退。
忘れられない思い出となりました。

幼いころから兄について応援に行っていた次女も、
小学3年生から野球を始め、中学・高校ではソフトボール部へ。
忙しくも、彼女らしい充実した日々を送っていました。

長女への思い 関わり方の変化

その一方で――
長女には寂しい思いをさせてしまったのでは、と胸が痛む出来事もあります。
野球の付き添いで家にいられない日、
長女は一人で留守番をし、部活も一人で通い、
遠征で帰宅が遅い日は夕飯の準備など家事を手伝ってくれることもありました。
高熱を出して一人で我慢していたこともあり、
思い出すだけでも涙がこぼれる、切ない記憶です。

それでも長女は、大学受験も就職活動もほとんど私に相談せず、
おそらく私への気遣いから、一人で頑張っていました。
大学に入学して間もなく体調を崩した時期もありましたが、
後半はバイトと学業を両立し、楽しそうに過ごしていたので安心しました。

就職した年はコロナ禍で自宅時間が増え、家族で濃い時間を過ごせたものの、
思うように仕事ができず転職を決意。
新しい職場で認められ、さらに他社からオファーを受け、転勤で一人暮らしを始めることになりました。

ちょうどその頃、私は竹本先生から個人レッスンを受けており、
長女との関係について相談していました。

宿曜占星術において、私と長女は「安壊」の関係。
特に親子の場合は、

「親子は距離を置き、親はあれこれ口出しせず、
子は親を恨まないようにする。
親子は一緒にいて当たり前という思い込みを手放し、
双方がもっとも心地よい距離感を模索すると良い。」

このアドバイスは、まさに私たち親子にぴったり当てはまっていました。

本当は“娘は自宅からお嫁に出したい”という思いがありましたが、
先生の言葉で心がすっと軽くなり、気持ちよく送り出すことができました。

そして運命なのか、ご先祖様のお導きなのか――
赴任先は、私の故郷・京都。
父が眠るお墓の近くで、
「きっとご先祖様が娘を見守ってくれている」
そう思うと胸が温かくなりました。

そんな娘に、これまで十分に教えてこられなかった私の手料理を伝えたいと思い、
料理の“あいう”を記したレシピノートを送りました。

この話に深く感銘を受けてくださった竹本先生は、
「それはあなたのやるべきこと。
現世・過去世・未来世を通して紡がれる運命であり、
同じように悩むお母さまへの最高のアドバイスになりますよ」
と言ってくださいました。

この言葉に背中を押され、
“娘が自炊するときに参考にしてくれたら”という母としての思いと、
“宿曜の流れを日々の食に生かしたい”という願いが一つになり、

「宿曜開運クッキング」の毎日の運食レシピを発信しよう
と決心したのです。





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